彼らが歩いた道程は...

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3日ぶりの布団と昨夜の晩酌(伏見の日本酒)が効いたのか、9時近くに起床。予定より1時間の寝坊に大あわての朝でした(^^;
ちなみに前日は宿をとらずネットカフェで夜明かし。寝る間も惜しんで漫画読んでました。個室だし快適でしたよ~。

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さて今日は、宿から20分ほど歩いて黒谷へ。
会津本陣があった金戒光明寺は、もちろん新選組ゆかりの地。
後に御所のそばに守護職屋敷が出来るまで、壬生浪士組発足当時は黒谷へ出向いていたんですよね。ドラマで勇さんが「励め」と言葉をもらった時も、全員分の羽織を八木さんに借りて出かけたのも黒谷でした。彼らはどんな気持ちでこの石段を踏みしめていたんだろうなぁ。

そして、奥に祀られている会津藩の墓地にもお参りしてきました。京都守護職として赴任してからわずか6年の間に二百数十名もの犠牲が(鳥羽伏見戦以前に)出ているというのはやはり尋常ではないですね...。

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幕末史の中心地・京都御所。
ドラマ的には何といっても8・18政変の「御花畠」を忘れるわけにいきません。というわけで、写真左側の緑がみえるところが御花畠です。道を狹んで右手はす向かいにあるのが建礼門で、写真では見えませんが左へ少し進めば蛤御門があります。

蛤御門を出て数十メートル直進ののち左折すると守護職屋敷―現在の京都府庁です。門の内側に小っさな碑があるのみですが、当時の門は平安神宮の駐車場横にひっそり残されています。ただし説明も何もなく戸惑ってしまいます。残されてるだけマシですけどね。勇さんや土方さんは何度となくこの門をくぐったことでしょう。

二条城は幾度も入ってるので、その横を通りすぎて壬生へ向かいました。
そう、本日の目標は、黒谷―壬生間の踏破でした。寄り道はしましたがほぼ3時間歩き通し。我ながら馬鹿ですわ。
だけど、彼らは歩いたから。この道程を。
ドラマの中で、皆がムダ口を叩きながら京の街を歩くシーンがあるじゃないですか。実在した彼らにだってそんな一面もあったに相違なく、あれこれ想いを馳せつつてくてく歩いて参りました。

ねぇ、どんなお喋りをしてたんですか?
再び壬生寺の勇さん(の像)と対面しながら、胸中で尋ねてしまいました。勇さんはきっと呆れてたでしょう(^^;

しかしただでさえ運動不足の現代人にはキツイ道程でしたわ。足が痛いー。
おまけに昨日に引き続き陽射しの圧力を感じるほど凶暴な好天に恵まれ、あやうく日射病になるところでしたよ。いやはや。
なにはともあれ、無事に帰宅。充実した旅でございました。

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