言葉の問題...

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あぁもう続編の放映から2ヶ月経ったんだなぁ...としみじみして、その日がひな祭りだとすっかり忘れていたkonです(笑)
感想も中途半端なままですが、DVDやサントラが発売する頃にはまた一人で馬鹿みたいに盛り上がることでしょう。こんなルパンファンで申し訳ない。ルパンにも、ファンが馬鹿みたいに盛り上がれるイベントがあるといいんですけどねぇ...(^^;

今日は暖かくていい天気でした。日曜なのに遊びにも出られず仕事の合間に洗濯物の山を片づけてましたが、それでもお日様の力で洗濯物が乾くのは気持ちがいいです。...って、最近の日常話はつまらないネタばかりですね。読み返してみると仕事が忙しいとか愚痴ばかりだし......ホント申し訳ない。こんなサイトなのに遊びに来てくださる皆様、どうもありがとうございます。

いや、先日メールマナーの本を読んだところ、いろいろ思い当たることが多くて耳が(目が?)痛い痛い。その中に、謝ってばかりだと相手がリアクションに困るから御礼の言葉にしてみよう、というアドバイスがありました。感謝を表す方が互いに笑顔でいられると。
成程。確かに些細なことで詫びが続くと卑屈な印象になるし、相手を困惑させたり不快な気分にさせては詫びる意味もないわけです。伝えたい気持ちは同じでも、伝わることは表現方法によって違ってくるから難しいですよね。
無論、本当に詫びる必要があるときは、卑屈だろうとなんだろうとひたすら謝らねばならないのは言うまでもなく。

しかしながら詫びの言葉にもいろいろあるわけで、今回の話題は時事ネタ絡みで「メール」と「お詫び」。
メールマナーの本如きで恥じ入る程度だから説得力に欠けるけど、自分のことは棚に上げて(酷)、少し前に同僚と交わした話を思い出しつつ自戒も込めて書き留めてみた。

「申し訳ございません」「お詫び申し上げます」「すみませんでした」「ごめんなさい」
上記あたりはストレートに謝罪を表す言葉だ。言い回しの選択はケースバイケースだが、詫びるのであればこれらのいずれかは必ず使わねばならないだろう。
しかしせっかく謝っても、文脈によっては不快や不信を与えてしまうこともある。謝るべきところを外している場合で、謝罪会見で失敗する政治家や経営者たちもこれにあたるだろうか。(態度による不快感などはまた別として)
簡単な例を挙げれば、夜遅くに騒いでしまったとき「ごめんなさい。帰りが遅かったものだから」と言ったら、相手は詫びられた気がしまい。やむを得ない事情もわかってほしいときは、せめて「今後は気をつけます」くらいは加えるべきか。

また、詫びとしては微妙な言葉もある。
「失礼しました」「お手数をかけます」「ご迷惑をおかけしました」
なんらかのミスや、相手に労を執らせることを認める言葉ではあるけれど、詫びの気持ちがあるならもう一言欲しいところだ。ただし詫びるほどでもないときや、お互い様といえる場合、先方の気遣いに応えての言葉であれば気にならない。

そして最悪なのが、全く詫びになっていない言葉である。
「お許しください」「ご容赦いただきたく」「ご了承願います」「ご理解ください」
私のココロが狭いのだろうか。pardonは単独で詫びになるかもしれないが、日本語では謝罪の後に許しを請うのが順序ではなかろうか。
しかもこれらは多くの場合、事情という言い訳だけをセットにして送られてくる。どうして一言の謝罪も無い相手を許したり理解してやらねばならんのか!
...ま、詫びる気持ちがあるのかはともかく、少なくとも怒らせるつもりじゃないはずだから、言葉の選び方を間違えてるだけなんだろうけど。詫びに限らず、自分の都合しか書いてこないメールは少なくないのだ。

実はこのテのメールの多さに腹が立って、同僚とこの話題になったのだった。そう、こういった無神経さは仕事関係に多い。
もちろん仕事だから何事もなかったように依頼をこなし、わざわざ文句を返すこともない。仲間内で愚痴や笑いのネタにしたり、ときに馬鹿丁寧なイヤミを返信に忍ばせて気を晴らす程度が社会人の処世術だ。
ただ、メールでしかやりとりのない相手に、たまに直接会う機会がある。そこで困惑するのは、相手が意外と好人物であった場合だ。この人があんな失礼なメールを書くのかと思うと、当人の知らないところで相当損をしていようと気の毒にもなり、それを誰も指摘してやらないことに同情すら覚えてしまう。(もっとも私だって余所で何と言われているかわかったものではない)

一昔前は電話や文書のやりとりで、それだって誤解やトラブルは生じていたが、社会人としての電話の応対やビジネス文書の書き方はそれなりに教えられた。
今やビジネスでもかなりの割合を占めるメールなのに、それなりの指導が為されていないのは、添付ファイルの常識も知らないビジネスマンがいかに多いかでわかる。他のことと違い、指導すべき年配者が積み重ねてきた知識ではない事情もあるが、メール程度の軽いやりとりに教育など必要ないと考えられているなら大間違いだろう。おまけに彼らを指南すべきビジネス誌までが、間違った(というより非常識な)メールマナーを載せたりするから困りものだ。
ほとんど本文を印刷したのみのメールを証拠に使おうとする政治家の無知さも確かにどうかしている。しかし、糾弾する側の人たちだって、本当の意味でどれだけメールを使えているかは大いに疑問だ。また、マスコミも自らの不祥事となれば途端に煮え切らなくなる場面を幾度も晒している。

ふと、「組!」の放映当時のことを思い出した。勇さんが謝ってばかりいると、そんな陰口も叩かれていたっけ。
だけど、己の非を認めて頭を下げられる人物なればこそ、己の筋も通すことができる。それが容易なことではないから、トシや皆が惚れるに値する男だという説得力があるわけだが。
しかるべきときにしっかりと詫びを伝えることが出来るように、私も自分を磨かないとね。

...あぁイカン。またカタイ話になってしまった......;;
しかもまた偉そうなこと書いちゃって、後悔するの確実なのにな。いや、人は自分にないものに憧れるそうなので、あぁコイツこういう理想に憧れてんだな~と軽く流してやっていただけると。(←小心者)
どうも近ごろアタマが堅くていけませんね。次こそは柔らか~い話題を楽しく語りたいと思います!

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