お金の問題?

| (ルパン三世) , | コメント(0)

金曜に確定申告の書類を出してきた。やれやれ。今年こそは溜めないで毎月帳簿をつけねば!(去年も誓ってたけどさ...^^;)
青色申告なので、経理は苦手だけど複式帳簿をつけている。この複式帳簿という考え方は面白い。「借方」と「貸方」という区分で金銭の移動を表すのだが、例えば電気代を銀行引き落としで払った場合、自分が得たもの(電気)が「借方」になり、失ったもの(銀行の預金)が「貸方」になる。両方の金額は等しい。お金だけ見れば減っているわけだが、等価の電気を得ているから収支はゼロなのだという当たり前のことに気づかされる。

さて。帳簿は年末締めでも、仕事は年度締めがほとんどなので、この時期は何かと忙しいし落ち着かない。幸いにして来年度も食べていけそうな気配である。本音はもう少し稼ぎたいけど、自分の許容量を見極めないとロクなことにならないから要注意だ。
中にはほとんど金にならない仕事もあるが、金に換算できない関係もある。複式帳簿に例えれば、「借方」の入金にお金以外の"+α"が加わって「貸方」の労働と釣り合う...ということかな。

お金だけでは収支の合わない部分なんて、世の中にはいくらでもある。いや、お金で回ってることなんてほんの一部に過ぎないんだろう。
ふと、お金と言葉は似ているな、と思った。

意思の疎通を図るのに言葉は必要だ。言葉にしなくては伝わらないこともある。が、言葉を尽くせば正確に伝わるとは限らないし、言葉がなくたって伝わることも少なくない。
また、言葉だけに注目しても意味がない。「馬鹿だなあ」と言われて怒るかどうかは、状況や相手の性格・表情・口調、互いの関係などによるだろう。しかし、受け取る側がそれらの要素を感じ取れなければ誤解を生む。
お金にしても、100万という金額が高いかどうかは人によって違う。使い道によっても違ってくる。ジャケットの値段にしては高いけど、一戸建ての広告だったら安すぎる。200万を二人で分ける取り分なら妥当だが、元の金額が1億であれば不公平に感じるだろう。
とはいえ、それが本当に不公平なのかどうかは、やはり状況にも依るはずだ。その状況の解釈や重要性、金額に換算するレートが合わなければトラブルが生じる。大抵は欲も絡むから尚のこと。

身近なところで金銭絡みの揉めごとが起きていて、とりとめもなくこんなことを考えてしまう。確かにお金の問題なんだけど、お金だけの問題でもないところが難しいんだよなぁ。

ただ、言葉もお金も、目的じゃなくて手段だ。
生活に最低限な範囲はともかく、不足を感じるのは心が満たされないときではないだろうか。どちらも溢れるほどにあったところで、"心が動かなければ意味がない"。(←耕史くん@「しゃべり場」^^)
言葉を弄るのに熱中するあまり、何が言いたいのかわからない文章になることがある。伝達という本来の目的を失ってしまうわけだ。
ではお金はといえば、必要だったり価値を感じることに引き替えるのが目的だろう。それ自体に執着しすぎて、本来お金で買えないもの(または買わずに済むもの)を失ってしまえば本末転倒といえる。
もっとも当人が何を伝えたいか、或いは何が欲しいのかわかっていない場合、この落とし穴に嵌りやすいかもしれない。

「金で買えないものはない」と豪語していた若き成金の凋落が格好のニュースネタになっている。マスコミも含めて彼を持て囃した人々は一転して糾弾する側に回り、傘下の人々も蜘蛛の子を散らすように離れていく。「金の切れ目が縁の切れ目」とでも言うように。
が、彼が成功した背景には、金で買えないものはないと錯覚させた社会があった。
世間がお金に価値を見出したがるのは、それが単純でわかりやすいからだ。骨董品や人の心などと違って、理解や判断に鍛錬を必要としない。お金に抱く価値観は個人差があっても、取引上は提示された金額を払えば済むのだから使い方も簡単だ。
そんな単純なもので優劣を競えば、いかに沢山集めるか――しかないのは自明だろう。

こういった「価値観」について、粋に描かれているのが「ルパン」だと思う。
ルパンが泥棒であることは、社会の商取引や流通というワクに縛られないことをも示している。決められた値段など彼には関係ない。すべての価値はルパンが決める。札束や宝石を狙うのもそこに「盗む価値」が介在するからで、だからモノ自体にはこだわらない。
盗みに失敗したり目的のモノが手に入らなくても、他に満足するところがあれば彼の中で収支が合うのだ。逆に成功しても納得できなければリベンジする。リスクの高さやプライドの問題に命を懸けるのも、ルパンにとっては等価なことだからだ。世俗の価値観が通用しないから、ルパンはカッコイイのである。
不二子は札束や宝石そのものにも執着して憚らないけれど、彼女には自分がそれらの価値に相応しい女だという自負と誇りがある。そしてルパンの価値観がどこにあるかも知っている。だから彼女は己の魅力を盾に"おねだり"できるのだし、ルパンもそれを等価と認めればこそ乗ることができる。
これらの前提がなければ、ルパンはつまらない泥棒に成り下がってしまう。不二子はただの欲張り女にしか見えないし、金より何よりルパンに惹かれている相棒たちや銭形に至っては立つ瀬があるまい。

ルパンたちの持つ価値観(美学と言い換えてもいい)は、単純なわかりやすいものじゃない。彼らの言動はただのカッコつけや負け惜しみではなく、価値観や美学に裏打ちされるからこそクールにキマるのだ。それが表現できていない「ルパン」など、薄っぺらくて魅力を感じられないのは当然だろう。

ルパンたちは遥かに遠い存在でいい。生き方など真似できるはずもないし、真似できてもマズイ。だけど、ちょっぴり近づきたい部分がある。
それは、誰にでも可能なことであって、ただし最も難しいことなのかも...ね。

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