喜ばしいけど、似合わない

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正月映画「武士の一分」が、大ヒットなのだとか。
私は藤沢周平作品の大ファンである。そりゃぁ悪い気はしない。
けれど...。
どうにももやもやしてならないのだ。

私はこの映画を観ていないので、作品の批評をするつもりはないことをお断りしておく。
また、主演俳優にケチをつけるつもりもない。好評なようだし、彼のことを嫌いでもない。ただ、彼自身というよりも、否応なく彼に付随する諸々の華やかさが藤沢作品に似合わない、と思う。
何より"大ヒット"という言葉が、似合わないと思う。
地味である、それこそが魅力だと思うのだ。
(その点、某局の藤沢作品はこれでもかというほど地味である^^;)

端的に言ってしまうと、山田監督の藤沢作品が苦手なのだ。
ルパンでも新選組でもそうだが、一口にファンといっても一様ではない。どこが好きかどんな風に好きかは人によって相容れないほど違う。監督と私とは、好きなポイントが違うのだろう。
「たそがれ清兵衛」でそれを実感した。途中までは好もしく観たのに、ラストがどうにも受け入れられない。藤沢作品の魅力のひとつがラストの余韻であり、言葉ですべてを語りきることなく終止符を読者の心に預けてくれる心憎さ。それを...どうしてあんなラストにしたのか未だにさっぱり理解できない。この映画が名作と言われるたび、その悔しさが蘇ってしまうほどだ。
テレスペが絶賛されても嬉しくない気分と似ているだろう。(流石にこの比喩は監督に失礼かな)

勝手な杞憂は外れていて、「武士の一分」は私好みの作品であるかもしれない。
しかし、好きなポイントの違いという溝はそう浅くない。当分は観る勇気が出ないと思う。
同じ藤沢作品でも「用心棒日月抄」なら"木村くん"で"大ヒット"でも許容できたのになぁ。そういう感覚のズレこそが、根本的に合わない理由のひとつでもあるんだろうけど。

とはいえ、"大ヒット"に文句をつけてもいられない。
映画自体の良し悪しはともかく、これをキッカケに小説を読む人も何割かはいるだろう、ということもある。
が、それより重要なのは、若い客層が多いことだ。
私は時代劇・時代小説ファンとして、このジャンルの衰退を本気で危惧している。たまにヒットする時代劇もコスプレ恋愛劇、あるいはコスプレホームドラマとしか思えない有様で、現代とは常識や価値観の違う世界を描けなくなっている。もちろん作り手側の問題でもある。
視聴率稼ぎに若手人気俳優を使ってでも、鬼平や斬九郎のような時代劇をじっくりつくって欲しい。「組!」だって若い視聴者が多かったし、馴染みがなくてもイイものはイイと感じてくれるはずだ。"番頭さん"を番頭という名前の人だと受け取る大人が増えてしまっては(一部実話)、時代劇に未来はない。

...あれ?
それじゃやっぱり"大ヒット"は喜ばしいではないか。
うん、そうだな。喜ぶべきことなのだ。
ただ私の好みとして、"似合わない"という違和感が拭いきれないだけなのだろう。

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