ニュースと歴史

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週に一度くらいは何か書こう、というのが今年の目標。
いつまで続くやら...?
今週は木曜時代劇の「鞍馬天狗」について書くつもりだったけど、あんまり気がノらないので別の話題に(^^;
あ、N局の時代劇といえば、居眠り磐音が9月から新シリーズ決定で嬉しい。主演の山本磐音も良かったし、面白かったものなあ。新年度から時代劇枠が縮小されて30分になるのが悔しいけどさ...。

さて本日の話題は、チェックしているニュースサイトから。

政治などのコラムで、歴史が引き合いに出されることがある。中でも近代史の幕開けである幕末・維新あたりに触れることは多いかもしれない。今日の産経抄もそうだった。
目前の問題にとらわれて大局や将来のビジョンを見失ってはならない。が、将来あるべき姿を追い求めても目前に迫る問題が解決するわけじゃない...んだよなあ。
政治に限ったことではなく、ちょっと考えさせられる。
ただ、「今」の積み重ねが「未来」をつくることは間違いないんだよねえ...。

3日前の産経抄では「薩長同盟」に触れていた。内容に異論はないんだけど、ちょっと私見をツッコミたくなった。
まず、「一介の浪人にすぎない龍馬が...」のところ。
これはよく言われることだ。が、「一介の浪人」とは言えないんじゃないかといつも思う。脱藩したとはいえ元土佐藩士であり、土佐藩との強力なパイプがあるからだ。彼にそんなつもりはなくとも、接する相手は彼の背後にある土佐藩の存在を無視できないだろう。
その点で、清河八郎・近藤勇・伊東甲子太郎といった政治的になんの後ろ盾も持たない志士たちとは、決定的に違うのだ。
殺された後にしても、清河・近藤・伊東はそれぞれの仲間たちが私怨として抗うことしかできなかった。龍馬は(暗殺前に脱藩を許されていたとはいえ)土佐藩が公的に下手人(と思われていた近藤勇)の処刑を要求し押し通した。高台寺党(伊東甲子太郎の一派)が同じことを声高に訴えたところで、到底こうはいかない。土佐藩の発言力あればこそだ。
むろん龍馬自身の魅力を否定するつもりはない。念のため。

もうひとつは、ここで取り上げられた政治家の方々が「どうやら龍馬を気取っているらしい」ということ。
これもよく聞く話だと思う。龍馬とか信長とか、それまでの概念にとらわれずに思い切ったことを成し遂げた人物であり、それを大衆が求め、求められる側はそれに倣おうとする。それは別にいいんだけど...。
でも、考えてみようよ。
彼らは誰も考えつかないことをしたからこそ、彼らたり得る。誰かに倣おうとする時点で、すでに龍馬や信長には成り得ないんじゃないか。
...まぁいいけどね(^^;

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