戦国

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大河ドラマ「天地人」、始まりましたね。
「篤姫」には結局テンションが上がらなかったので、今年は期待したいです。

しかし戦国ものは派手な演出が似合いますね。これを幕末ものでやられると引いちゃうんだけど、戦国って遠い世界というかファンタジックなところがあるからかな。
直江兼続は藤沢周平と童門冬二の小説を読んで知っていましたが、戦国武将としてさほどメジャーじゃない人がクローズアップされるのも楽しみです。

最近母が蔵書を整理していて、「これ処分するけど読む?」と言われ貰ってきたのが、たまたま戦国ものばかり。新田次郎の「武田信玄」全4冊、池波正太郎の「真田太平記」(3巻まで)、吉川英治の「宮本武蔵」(3巻まで)、堺屋太一の「豊臣秀長」「巨いなる企て」(ともに上下巻)などなど。
これが読み始めたら面白い!
戦国時代だと、物語の舞台である地域周辺と時の権力者の動向さえ掴めれば、話についていけるので入りやすいです。幕末のように、幕府・朝廷・諸外国(国によって思惑が違う)・諸藩(表向きの藩論と志士たちの活動が異なる)が込み入っているという複雑さがなくて。

それに戦国は知名度の高いキャラクターの宝庫ですよね。
信長・秀吉・家康はもとより、信玄・謙信・政宗といった天下に一歩及ばなかった領主たち、幸村・光秀・三成などの敗軍の将、猿飛佐助・服部半蔵ら半ば伝説化した忍者の存在...と挙げていけばキリがない。
彼らの行動原理や価値観もまた幕末に比べれば単純明快で、その辺りも現代人が心情的についていきやすいのかもしれないなあ。


とはいえ100年も乱世が続いた戦国に生きる人々は、いろんな意味で良くも悪くも研ぎ澄まされている。
身体的にはもちろん、単純なオレオレ詐欺にひっかかったり、女性専用車に紛れ込んで周囲の視線や気配にも気づかないような鈍感さでは、戦国時代を生きられない。
こういったもどかしいほどの呑気さは、しかし幕末ではしばしば見られる。平和は人を鈍らせるようだ。

そういえば、戦国小説を読んでいてもうひとつ感じたのは、女性のこと。
今は研究が進んで見方も変わってきたようだが、記録に残っていないからといって、昔は女性が軽んじられていたとは思えない。
記録とは主に変化を綴るものであるから、それを担う男性が登場し、日常に属する女性が記されないのだろう。記されないからといって軽いわけではない。日々の大半を日常が占めるのだから。
女性が果たす役割は重い。篤姫もそうだが、政略結婚で敵地(同盟国であっても)に単身同然で赴き、ときに両国の命運をも左右する。戦場を駆ける男たちより危険で重大な任務を託されることを、彼女たちは誇りに感じていたかもしれないのだ。(むろん男と同様に個人差はあるにせよ。)
政略結婚は当時の常識であり、それに同情するのは現代人の感傷に思える。むしろ当時の彼女たちが軽んじられていたというより、現代人たちに彼女たちを評価する視点が欠落しているのではないか。
「真の戦巧者には人に知られる名誉や手柄がないものだ」と孫子が示すように、変化を起こさないことこそが、彼女たちの手柄なのだろう。
何をどう評価するかというのは、評価される側ではなく、評価する側を映す鏡なのかもしれない。


...と、またカタイことを書いてしまった。私が書くことってカタ過ぎるんだよなあ~。
このところご無沙汰していたお絵かきさんたちのサイトや、教えていただいた「手ブロ」というものを眺めていて、絵が描ける人たち(の表現力)って凄いなあ...と改めて感じ入っています。そういう方々は文章もうまいし面白い。引き替え、文字書きと公言している私はなんてつまらないんだろう。
もちろん絵が描ければ良いというのではなく、全般にセンスが良いんでしょうね。

まあ他人様をうらやんでも仕方がないので、拙くても自分は自分...と思うようにしてます。ここで凹んでしまうと何も書けないし、書けないとコミュニケーションもとれないし。
そんな相変わらずの未熟者ですが、生温い目で見てやってください(^^;

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