言葉にならないこと

| (ルパン三世) , (新選組!) | コメント(0)

テキストを書くときはもちろん、日常生活でも言葉に悩むことは少なくありません。
こういうとき、もっと気の利いたことを言ってあげたい・・・と思うこともあれば、そんなつもりじゃなかったのに(言葉の使い方や解釈の違いで)誤解を招いてしまうこともあります。とはいえ、要は意図するところが相手に伝わるかどうかで、言葉はそれを表現するための符号のひとつに過ぎません。
それでも火やハサミと同様、使い方に注意を要する道具です。が、ハサミと違って言葉には「行間」があり、重要なのはむしろ行間なんだろうと思います。

ところで、今年(2004年)の大河ドラマは、個人的に久々のヒット作です。

子供の頃から歴史が好きで、かれこれ四半世紀も大河ドラマをチェックしていますが、必ずしも好みに合うとは限りません。最後まで見続けた年はむしろ少ないくらいかも。
ただ、ここ10年ほど顕著に感じられたのは・・・視聴率と自分の好みが、ほとんど反比例だったことです。たまに面白いと感じる作品があっても視聴率は低く、これは勘弁という作品は非常に好評だったりして。昨年は歌舞伎俳優の市川新之助(当時。現:海老蔵)主演の「武蔵」にとても期待していたのですが、いろいろと残念な結果になってしまいました;;
なので、もう大河ドラマには期待しまいと、今年は最初から諦めモードだったのです。
新撰組という題材自体は、小学生の時にレポートを書いたことがあるほど、昔から興味を持っています。が、(私的に)好ましいドラマに出会ったことがほとんど無く。まして最近の大河の傾向を見れば、どういった話に作られるか想像がついてしまい、そんな新撰組を見たくなかったせいもあります。
――ところが。
悪い予想は幸いにも裏切られました。大河はすでに腐り果てて再生不可能かと見捨てかけていたのに! (こういうことがあると某スペシャルにも期待したくなっちゃうじゃないか~/笑)
見所はいろいろありますが、名前のない人物が存在しないと思えるほど、それぞれのキャラクターが個性的に表現されているのも面白い。放映1年間という特性を活かし、個々の人間をじっくり書き込んでいて見事です。
しかし、なんといっても秀逸なのは、台詞のないシーン!
その場面に至るまでの経緯がしっかり描かれているから、過剰な盛り上げや説明がなくても充分に伝わるんですよね。
さりげない演出。言葉に頼らない脚本。
逆説的ですけど、それこそが真髄のような気がします。
(欲を言えば歴史的事実との絡ませ方などに不満はあるのですが・・・。そこはドラマですから、いいことにします ^^)

そして先日見たドキュメンタリー番組でも、似たようなことを感じました。
「鼓童」という有名な和太鼓のグループが、演出に歌舞伎俳優の坂東玉三郎丈を迎えて新たな舞台を作り上げていく。その様を2年間に渡って取材した番組(再放送)でした。私は玉三郎丈のファンですが、鼓童を演出したことは既に知っていたため、最初は軽く「ながら見」していました。ところがこれが面白くて、いつの間にか引き込まれてしまいました。
日本の民族・伝統芸能には関心があり、いくらかの実体験も含めて少々足を突っ込んだことがあります。けれども鼓童は創られた「パフォーマンス」っぽさがどうも趣味に合わなくて、実際にステージを見たことはありませんでした。しかし。
私が感じた結論から言うと、玉三郎丈の演出は、そのパフォーマンスっぽさをさっぱり拭い去ってしまったんです。
そこに至るまでの2年間。鼓童のメンバーも玉三郎丈も、もどかしいほど丁寧に作品を作っていきます。否、それは土台から崩して組み直す作業だったのでしょう。双方の期待と戸惑いを、生の表情や言葉を引き出しつつ、カメラは静かにじっくりと追い続けます。淡々と映し出される稽古の様子、人間のふれあいと葛藤、鼓童の本拠地である佐渡の風景。美しい四季の移ろいが、時の経過とそれ以上のものを伝えてくれます。
飾りはいらない。シンプルでいい。
否、シンプルこそがいいのだと、メンバーの想いもそこに行き着いていく。
けれどもシンプルなほど、表現としては難しい。一切の誤魔化しが利かないからです。稽古を重ねて多くを身につける一方で、余分なものを削ぎ落としていく。それは肉を食って脂肪を減らすに等しく、メンバーはかなりの苦闘を強いられます。
各個人が己を磨きながら、全体としては調和していく。その過程と結果が、ラストの舞台に集約されるのです。
それにしても。
玉三郎丈の奥の深さといったら。個人的にどきりとさせられた言動も少なくありません。
例えば、こういうことをお客さまに感じていただけたらいいと思うの、と玉三郎丈が言います。「それを"表現"してもらっては困るけどね」と。
演出家かつ表現者である故の意識かもしれない、"演出"と"表現"の明確な違い。
他にも美とは何か、個性とは、プロとは、こだわりとは何か。言葉として記すのが難しい多くの事々を感じ取ることができました。それらは直接には鼓童と玉三郎丈のやりとりですが、取材陣にも影響を与えたであろうことは、放映された番組を見ればわかります。(録画しなかったのが痛恨;)
玉三郎丈自身の、穏やかな中に芯の通った厳しさと、さりげない気遣いから滲み出る優しさも印象的でした。

先の大河ドラマといい鼓童といい、その変化を喜ばないファンの方もいるかもしれません。大河の場合は視聴率にも表れてるしね;;
しかし・・・変えることって・・・やれば出来るんじゃん・・・。 ←だから期待したくなっちゃうんだって(笑)

"かえる"といえば、某クレジット会社のCMコピーを思い出しました。
 「お金で買えない価値がある」
まさしく逆説的で、巧い言い方をすると感じたものです。つまりは我が社のカードで金を使ってくださいってことですが(笑)、それは欲しいものを買うためではなく、「金で買えないものを得るため」というのがカッコイイ。
同様に、言葉にならないものを表現するために言葉を使うのかもしれないなぁ・・・。


・・・と、偉そうなことを言っていますが、理想と現実のギャップは大きく(笑)
文を綴ることに多少慣れてきたせいか、もっと巧く書けるんじゃないかとか、こんな話を書いてみたいとか、実力とはかけ離れた幻想を追ってしまいがちな自分に気づきます。書けることと書きたい(=読みたい)ことの差を埋めたくなって、結果として大きなコトを言う割に足踏みしちゃうんですね(^^;
理想は理想として、現実には、とにかく書けることをもっと気楽に書いていこう。
Fellows3周年(私がルパンたちを書き始めて2周年)を前に、初心に戻るぞ~!と思うのでした(笑)

コメントを送ってください

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://k-kon.sakura.ne.jp/mt427/mt-tb.cgi/207