龍馬の"嘘"

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一週間遅れの話題ですが、24時間TVを見ました。(全部ではないけど)
このテの番組は苦手でいつもは見ないんですがね。いかにもそれっぽい見せ方・盛り上げ方が白々しく感じられて。3億円もの募金が集まったのは凄いけど、どうしても「遠い世界の特殊な人々のため」という域を出ないんだよなぁ...(苦)

まぁそれはともかく。
チャリティとは関係ないけど(笑)興味深かったのが、龍馬の「いろは丸」探索。
香取・勇が見守る龍馬という構図は「組!」ファンには楽しい。彼にとって龍馬は「遠い世界」の人じゃなくて、きっと江口・龍馬の顔を思い浮かべていたんじゃないかな(^^)
だけどその龍馬が、家茂公の実家である紀州家に対して多額の賠償金"詐欺"を働いたと知ったら、勇はどう思っただろう...。
実際に銃を積んでいなかったのか、まだ断定はできないにしろ、その疑惑自体は以前からあった。可能性は更に高まったと言えそうである。

このことは幕末において、また、新選組にとって小さくはない。

「いろは丸事件」の約半年後に龍馬は暗殺された(慶応3年11月15日)。その真相は未だ藪の中だが、龍馬から高額な賠償金を取られた紀州藩も下手人(黒幕)の候補に挙がっている。
中でも紀州藩に一番の疑いを向けたのが、龍馬が率いていた海援隊だ。
つまり海援隊は、龍馬を最も恨んでいるのは(幕府や薩摩より)紀州だと思ったわけだ。本当に銃を積んでいなかったとすれば無理もない。紀州から取った賠償金が騙(かた)り・ぼったくりの類だってこと、少なくとも幹部たちは知っていたはずだもんなぁ;
彼らは龍馬の仇討ちとして、紀州の要人を襲撃するに至る。
それが京における新選組最後の活躍「天満屋事件」(慶応3年12月7日)。会津を通じて警護にあたっていた新選組は要人を護るも二人の死者を出した。その一人は勇の甥っ子である。
このとき紀州は幕府勢力に救いを求めて助けられたことになる。だが、紀州の藩論はすでに勤王へと傾いていた。事件から一月も経たない鳥羽伏見の戦い初日(慶応4年1月3日)、早くも新政府軍に下ることを決めてしまうのだ。
やがて勇は新政府によって斬首される(慶応4年4月25日)。この処分を推したのが龍馬の出身・土佐藩なのは周知の通りで、龍馬暗殺の下手人候補として最右翼だった新選組への恨みを向けた形だ。が、海援隊が最も疑った紀州に対しては咎め立てをしていない。疑いが晴れたのではなく、紀州藩はすでに新政府軍に加わっていたからだ。

これだけでも何やら切なくなるけれど、更なる可能性に進むこともできる。
もしも、龍馬暗殺の黒幕が紀州だとしたら。そして暗殺の原因が、龍馬の"嘘"がバレたことによる怒りと恨みによるものだとしたら――
勇の斬首は、龍馬の嘘がもたらしたことになる。
むろん、龍馬にそんなつもりがあったはずもないのだが。

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