会津の旅-土方さんの変化

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この記事は、考察というよりも感想であることをご了承いただきたい。 ※12/4若干加筆修正

土方さんは変わった――と、よく言われる。
上洛前の多摩・江戸にいた頃、京都での新選組時代、北征~箱館の時期。「いつの土方さんが好き?」なんて質問があったりもする。
私は、答えられない。それぞれに魅力があるともいえるが、そうやって切り離しては考えられない。ましてや箱館時代と答えるのは、なんだか土方さんに申し訳ない気がしてしまう。
京都では厳しさを装っていて本当の土方さんは...とか、本来の姿は...とも、よく聞く。しかし私にはどれも彼自身の姿に見える。無理もしただろうが夢や目的のために望んだことであり、気の毒とか可哀想とかいう方向で捉えては失礼に思うのだ。(そういった状況や心理を考えること自体には賛同するけれど。)
最も"素"のままが現れていたということなら、まだ何も背負っていない多摩・江戸にいた頃だろう。しかしこの頃の記録は非常に少なく、通説とされている多くは"可能性や想像"の域であるらしい。郷里に伝わるエピソードからは、やんちゃで負けず嫌いで物怖じせず、観察力・記憶力・人を使う能力に秀でた性質や、甥・姪やお年寄りに深い情を見せていたことなどが窺い知れる。

よく比較されるのが、味方にすら容赦ない鬼と恐れられた京都の頃と、温厚で皆が母のように慕ったと書き残された北征の時期だ。が、彼自身の変化を考える前に、その土台となる状況や立場が全く異なることに目を向けるべきと思う。
京都での彼は、これから大きく強くして名を挙げていこうとする組織の副長である。
対して北征の頃は、先に希望がない負け戦の兵を率いていく将なのだ。
言動に変化が生じるのは自然である。ただその変化を"無理をする必要がなくなって本来の彼に戻った"とだけで結論づけるのは疑問を感じてしまう。
京都における彼が組をまとめるために自らの"演出(状況と立場に求められる振る舞い)"をしていたならば、北征中とてその意識はあったと考えても不思議はあるまい。
そう感じるのは、やはり転機が会津にあると思うからだ。

局長の死が伝えられ、会津も拠り所にできなくなったとき、新選組は頂くべき長と主を失った。此処における旧幕府軍のトップは大鳥圭介だが、新選組は他の諸隊と違い5年も前から最前線で戦ってきた自負と誇りもある。誰より彼自身がそんな心理であっただろうし、だからこそ隊士たちの不安と動揺を受け止める役割の必要性を痛感したはずだ。
自身の精神的打撃に加えて、そういった"状況と立場"に置かれたのである。"無理をする必要がなくなった"と言えるだろうか。"求められる振る舞い"が違ってきただけではないのだろうか。

この辺りをどう解釈するかが、この項の要になるのだろう。
"無理をする必要がなくなった"と捉えるならば、新選組は彼の意識の中で解散しているように思う。隊士たちに対し、俺は俺の好きにするからお前たちも好きにしろ――という考え方だ。事実、蝦夷渡航への参加は各自の意志に委ねて脱退を認めており(これは新選組だけでなく他の諸隊も同様)、軍全体における立場もあって新選組を直接率いることもなくなった。そういった側面も無視はできない。
一方で、新選組に新たな隊士も受け入れている。蝦夷渡航において各藩の乗船人数が制限されたためだ。選に漏れてなお随行を希望する桑名藩士たちの相談を受け、彼が「心ヲ安セヨ、速ニ我隊ニ来レ」と答えた記録がある。台詞そのままではなくても、彼にとって新選組はいつまでも"我が隊"であったろう。

いずれにせよ、新選組に対しても軍全体に対しても、京都時代ほど締め付ける必要がなくなったのは確かだ。年齢や経験を重ねて成長した部分だって大いにあるだろう。それでも状況によって接し方が異なるだけで、彼のスタンスそのものに変化は無いように思えるのだ。
ただ、いかに自らを"演出"しようと当然ながら台本があるわけもなく、どの時期であれ彼自身の資質が現れているには違いない。
苛烈なまでに残虐で厳しい鬼の副長も、慈母の如く慕われた穏和な陸軍奉行並も、どちらも根底は同じ――むしろ不器用なほど一貫した姿さえ見えてしまう。そこが土方歳三という人間の魅力である、そう私は感じている。


余談だが、土方さんの変化についてはもうひとつ見過ごせない転機がある。"見た目"のことである。
彼が洋装に変えたのは、江戸へ戻って甲州勝沼に赴くまでの一月ほどの間であったという。同時に新選組全体へも軍備と服装の洋式化を進めているが、副長自らのイメージチェンジは物凄いインパクトを与えただろう。自身の洋装への興味や、軍備の早急な洋式化を必要としていたにせよ、重苦しい敗走ムードを一新する"演出"の計算が働いたように思える。
更に言えば、勇さんは右肩の重傷で刀を振るえない状態になっていた。
「もう刀の時代じゃない」と公言し、洋式化を急いだ心理的背景のひとつに、"刀が無くても戦える"というアピールを感じるのは勘ぐりすぎだろうか。無論それが慰めになりえないことは解っていただろうけど。

新選組や土方さんを、勇さんの存在抜きで語ることはできないだろう。
最後にひっくり返すようだが、今回の記事は、土方さんにとっての勇さんをどう捉えるかによっても見方が違ってくる。二人の関係性や、流山での別れをどう解釈するかは重要なポイントだ。しかしそれらを語るには別に記事を設けたい。
その前に、私の贔屓目からみると、勇さんはあまりに誤解されている気がする。創作でも解説本でもかなり手厳しい表現がなされていて、もう少し弁護しようがあるのにと歯痒くてならない。
そんなわけで、次は勇さんのことを思い切り弁護してみたい。

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