山南さんと土方さん-5

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続編に備えて今年中に最終回まで見直そう、との計画は、先週末に法事が入ったために残り9話で断念しかけたものの、本日目標を達成できた。大掃除も何もほっぽらかしてのDVD鑑賞となったが、我ら母娘にとってはこちらのほうが"新年を迎える準備"として重要だったわけで...(^^;
あとは、思いの外長引いてしまった山南さん語りを終えてしまいたい。

前回、池田屋事件によって二人の力関係に差が開いたことを書いた。
そして、新たな組の編成が提案される(30話)。
指揮系統から山南さんが外されたのは、戦わぬ者が間に入れば混乱を招くためだろう。が、その理由を問う永倉さんは、不覚を重ねた彼の姿を見ていないのだ。
「自分らに楯突きそうな人物を外しただけではないのか」
「違う」
「自分たちの言いなりになる訳のわからん連中を側に置いて意見の異なるものを遠ざける、そう言う魂胆ではないのか」
--(中略)--
「山南さん、あなたはこれでいいのか」
「新選組の方針は土方くんに一任してあります」
永倉さんの糾弾に、土方さんは「違う」と答えるだけで事実を言わない。言えばそれこそ山南さんの立場がなくなってしまう。
それを山南さんがどう感じていたかは察しがつきにくいが、自分が異を唱えられる立場でないことは「土方くんに一任」という台詞が表している。ただ、現状に対しての危惧はあり、立場の弱い自分に代わって永倉さんを立てようとしたのではないか。
それが建白書へと繋がっていく。結果的には、これが致命的なミスとなってしまった。

まずは建白書という手段が持つ重み、その感覚の違いを考えたい。
山南さんにとって建白書は、さほど敷居が高くない。会津藩お預かりを願い出る建白書を書いたのも彼だった。
「容保公に近藤さんを諭していただくようお願いするのです。あの人も容保公のお言葉ならきっとわかってくださるはず」
この台詞からも、叱られる程度で済むことだと考えている。容保公が勇さんに寄せる信頼を知っているからだろう。「(新選組が)分裂してしまうのはいかにも惜しい」とも言っているから、組を潰すつもりなどなかったはずだ。"惜しい"という言葉には温度差を感じるけれど。
しかし土方さんにとっては、そんなに軽いことではない。容保公の好意はわかっていても、会津藩という組織の冷たさは、池田屋に兵を出さなかったことからも身に沁みている(その場に山南さんは不在だった)。建白書(公式な文書)で局長を糾弾されればどんなことになるか。会津藩に手を切られたら新選組はただの浪士の群れに戻ってしまう。それどころか局長である勇に見切りをつけられたら...。会津藩は芹沢の不行跡に対し排除を示唆した"前科"があるのだ。それは彼も承知のはずなのに。

「ここで引き締めておかねぇとまた同じことを繰り返す」
「だったら起こらないようにすればいい。彼らの不満の矛先が何であるかを見定め、それに対処する方が先」
「...そんなことしたって、誰かさんが裏でそそのかしたら同じことだろうが」(31話)
"不満"が聞き入れられる手だてのない現状を、とにかく打破せねば新選組は崩壊する。山南さんはそうした危機感から風穴を空けたかった。だが空けた場所は、屋台骨を揺るがす土台の部分だった。"不満"がいつも理に適ったものとは限らず、逆恨みや権力争いに利用される危険性もある以上、土方さんはその穴を完全に塞がねばならなかった。
解ってほしいと願う気持ちは双方にあるのだろう。言葉による意思疎通が図れないのは主に土方さんのせいだろうが、山南さんを責める表情は辛さに満ちている。彼が話を打ち切って去った後に膝を折っている様子からも、話し合おうとして至らなかったことが想像できる。
芹沢さんと対立していた頃は言葉にせずとも解り合えただけに、いざ言葉が必要なときにその術を持たない二人が哀しい。

「永倉君たちがなぜああいう行いに出たか、土方くんはもっと考えてみるべきだ」
山南さんは"原因"を考えて欲しくても、
「二度と同じことを引き起こさないためにも、誰かに責めを負ってもらうしかないのだ」
土方さんは"結果"に重きを置き、"対策"に回る。
切腹させた葛山の屍体の傍らにおける睨み合いは、火花が散るなんて表現では全然足りない。燃えさかる業火のど真ん中に立っているようだ。
「奴を殺したのは、俺とお前だ」
俺とお前――
"原因"を作った"お前"と"結果"に導いた"俺"
法度を作った"俺とお前"
共に"避けては通れぬ道"の一歩を踏み出した"俺とお前"――
山南さんの目は、土方さんの視線を跳ね返し、責めている。が、土方さんは違う。訴えるような、説得するような目に見える。今までもこれからも"俺とお前"は共犯者として進むしかないんだ、と...。
32話になると二人の間はなんとも微妙な空気になる。伊東甲子太郎の紹介シーンも、屯所移転の会議でも。山南さんが土方さんの訴えるような視線をどう受け止めたかわからなかったのだが、たまたま今日見たDVD第弐集の特典・未公開映像にヒントがあった。32話のシーン1、江戸から戻った永倉さんが葛山の顛末を知って憤るのを、山南さんが止めるのだ。
「土方くんは土方くんなりに、新選組のことを考えているのです」
納得はできないにしても、理解はしたのだ。理解はしたけれど、自分はそれについてはいけない。
しかも屯所移転会議では自分のお株を甲子太郎に取られてしまうし(ここでは試衛館一派vs甲子太郎で勝利したかっただろう土方さんの心情も痛いが)、つまらないことで揉める隊士たちを見て「時代が動いているのに我々はなにをやっているのか...」と嘆いても具体的になすすべなく見つめるだけ。「人と人との繋がり」がこの国を動かすと感じても、新選組(を動かす勇さんと土方さん)と自分の間には「人と人との繋がり」を感じられなくなってしまった。(自分の役割を奪った甲子太郎は勇さんが連れてきた人である)

土方さんは山南さんに対して常に強引な態度しか取れない。否、誰に対しても、自分自身に対してもそうだ。必要だからそうする。必要だから、どんな役割だろうと引き受けるしかない。それは総司も源さんも同じだ。判断基準は善悪や思想ではなく、新選組と勇さんに必要かどうか。それが4人の揺るぎない"繋がり"を生んでいる。
山南さんは思想があるからそれができない。が、土方さんは当然のように求めてしまう。
「あんたの進むべき道は俺が知ってる」は、総司や源さんには通じても、山南さんには逆効果だった。「あんたの"望む"道は此処には無い」という意味になるからだ。

こんな事態になる前に彼らがどうしていればよかったのか、まだ私にはわからない。
ただ、彼らは物凄いスピードで走らねばならない状況にあった。スピードが出れば視野は狭くなるし、カーブも曲がりきれなくなる。味方同士で事故ることもある。
リタイヤしちゃえばいいじゃない、端っこをゆっくり走ればいいのに、などと私には言えない。

「悔やむことはない、君は正しかった」
解釈によっては痛烈な皮肉にも聞こえるし、その先に更なる修羅を用意したとも取れる。けれど、ここまで見てきて、やはり私にはそうとは思えない。そう告げる山南さんの声が優しいせいもある。
直前のシーンで、この時期に咲くはずのない菜の花を持ってきた明里に、彼は「私の負けだ」と呟いた。つまりはそういうことなのだろう。無論、土方さんはこんな形で勝ちたくなどなかったろう。ただ一緒に進みたかっただけだ。芹沢一派を排した頃のように。

山南さんは、最期に自分の居場所を見つけた。それは新選組に骨を埋めるという悲しい形になってしまったけれど。
そして土方さんは、リタイヤすることなく走り続ける。4年後に箱館で命を散らすまで。
(→史実編もあります

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