2005年12月アーカイブ

大晦日

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いよいよ今年も残り数時間となりました。
やらねばならぬことは山程あるけど、もう諦めました。←早いなっ(笑)
いや、だって、紅白に向けて心の準備もしなきゃならないし。...って何言ってんだか自分でもわかりません。だけど落ち着かないんだよー。なんでこんな大晦日になるんだか(^^;

TVではなんとなく「スキウタ」が流れてます。誰かさんが「知らなかった」とバカ正直に告白しちゃった例の企画...というのは置いといて。歌もだけど、映像で紹介される時代が懐かしいなぁ~。なんというか、どんな流行もやがては過去になるんだよな。
私のスキウタはというと、そりゃ今はこれしかないでしょう! 「組!」のメインテーマですよ。ヌッツォ氏ですよ。愛しき友ですよ!
今夜の紅白は局長・副長揃い踏みなんだから、聴きたかったな~~。
とはいえ二人とも大トリ・司会という大役があるんだから、あんまり気持ちを乱しちゃマズイか。視聴者はぼろぼろ泣いたっていいけど、彼らはそんなわけにいかないもんね。
しかしそう考えると凄いですよね。一昨年は番宣での登場だった(局長は大トリもあった)けど、去年は主題歌が選ばれて、今年は大トリと司会ですよ。
...未だに信じられん。

さてさて。本年はこんなブログにお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。サイトの方やプライベートでもお付き合いくださった方、重ねて御礼申し上げます。
やりたいと思うことの何分の一も実現できていませんが、来年はもう少し時間を作って精進したいです。
それでは皆様、よいお年をお迎え下さい!

山南さんと土方さん-史実編

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これまでドラマにおける二人を考えてきたが、実在の人たちはどうだったのだろう?
山南さんが最初に試衛館を訪れた時期は不明のようだ。初めて記録に現れるのは文久元年(1861年)の新年稽古であるらしい。この年は8月に勇さんの四代目襲名野試合も行われ、どちらも土方さんとともに加わっている。(土方さんが入門したのは1851年とも伝わるが、神門帳の正式な記録は1859年とある)
二人にどのような交流があったのか、記録からはわからない。
山南さんの死についても謎が多い。

ただ、ドラマでは敢えて描かれなかった点が、ふたつある。
ひとつは、政治的立場や思想の相違による決裂だ。
新選組は池田屋事件を境にして、過激尊王攘夷派を敵とする佐幕の立場が鮮明になった。政治的矛盾(浪士組も元は尊皇攘夷)による意見の相違である。ドラマでは人間関係に焦点を絞るため、視聴者が感情移入できない政治的な面には深く突っ込まなかったのだと思う。が、実際は大きな原因のひとつであった可能性がある。
もうひとつは、山南さんの体調だ。
ドラマでは戦闘の第一線に出ていないだけのように描かれていたが、実際は死の1年ほど前から病気か怪我による身体の不調があったらしい。知り合いの見舞いさえ断っているから、よほど人に見せたくない姿だったのだろうか。それは戦闘で重傷を負ったのだとか、総司と同じ労咳を患ったとか、或いは精神的な病であったとか様々な説がある。

山南さんと土方さん-5

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続編に備えて今年中に最終回まで見直そう、との計画は、先週末に法事が入ったために残り9話で断念しかけたものの、本日目標を達成できた。大掃除も何もほっぽらかしてのDVD鑑賞となったが、我ら母娘にとってはこちらのほうが"新年を迎える準備"として重要だったわけで...(^^;
あとは、思いの外長引いてしまった山南さん語りを終えてしまいたい。

前回、池田屋事件によって二人の力関係に差が開いたことを書いた。
そして、新たな組の編成が提案される(30話)。
指揮系統から山南さんが外されたのは、戦わぬ者が間に入れば混乱を招くためだろう。が、その理由を問う永倉さんは、不覚を重ねた彼の姿を見ていないのだ。
「自分らに楯突きそうな人物を外しただけではないのか」
「違う」
「自分たちの言いなりになる訳のわからん連中を側に置いて意見の異なるものを遠ざける、そう言う魂胆ではないのか」
--(中略)--
「山南さん、あなたはこれでいいのか」
「新選組の方針は土方くんに一任してあります」
永倉さんの糾弾に、土方さんは「違う」と答えるだけで事実を言わない。言えばそれこそ山南さんの立場がなくなってしまう。
それを山南さんがどう感じていたかは察しがつきにくいが、自分が異を唱えられる立場でないことは「土方くんに一任」という台詞が表している。ただ、現状に対しての危惧はあり、立場の弱い自分に代わって永倉さんを立てようとしたのではないか。
それが建白書へと繋がっていく。結果的には、これが致命的なミスとなってしまった。

メリークリスマス

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...といっても何もそれらしいことをしてない私ですが(^^;
イブの深夜に法事から帰って参りました。ほとんど徹夜だったせいで今日は昼過ぎまで寝てしまい、勿体ない日曜を過ごしてしまったと後悔してます。でもああいった場は心身共に疲れちゃうので仕方ないですね。
亡くなった祖父はたいへんなトラブルメーカーで、悪い人ではないものの、いつも不用意な(心ない)言動で自分や周囲を悪い方にばかり導いてしまう、良く言えば"損な性分"でした。しかし最期は入院する間もなくあっさりと逝ってしまい、長期入院でもしていれば何かと悶着を起こしたに違いないだけに、昨年旅立った優しい祖母が連れて行ってくれたのかもしれません。
きれいごとを言いたくはないので、故人とはいえ今でも許せない気持ちはあります。でも本人にしてみれば、自業自得であれ常に自分の回りでトラブルが起こるのは辛くもあっただろうし、とにかく困った人ではあったけど、あまり苦しむことなく息を引き取ったことに安堵しつつ冥福を祈りたいと思います。
と、辛気くさい話になってしまってスミマセン。

さて、少しはクリスマスに絡めた話題など。

年の瀬もだんだん押し迫ってきましたね。
意識がどうしても正月のほうに向いてしまってるけど、そういえば今週末はクリスマスだなぁ――と思ったら法事が入ってしまいましたよ...。大往生なんでそれはいいんですが。24日は日帰りで京都ってプランも捨てきれずにいたんだけど(気持ちだけですがね...)、まぁ人様のレポを楽しみにします。←わかる人だけわかって(^^;

しかし法事は何度か経験してきましたが、息を引き取ってから通夜が4日も後というのは初めてです。お寺さんの都合とはいえ、ちょっとねえ...; 遺体はドライアイスで保存してるそうで、なんだかなぁという気持ちです。
親戚が揃うのもユウウツ。
思うんですが、人って、貧乏くじを引いてしまうタイプと要領のいいタイプに別れますよね。しかも要領のいい自覚がなくて「自分は苦労してる」って主張する人とか。本当に苦労して苦労が身に付いてる人は、相手の大変さも慮ったりできるんだけど、そういう人って自分しか見えてなくてさぁ...(ため息)
まぁ私なんぞが文句を垂れてはバチが当たりますがね。

みんなの代わりに貧乏くじを引いてくれる人って、もっと感謝されてもいいと思うんだけど、なかなかそうならないのも不思議な気がします。うちの場合は叔母夫婦が貧乏くじ引いてくれてたんで、せめて2日間孝行してきます。ユウウツだけど。
いやいや...これから楽しみなことだって目白押しなんだから、ちょっとくらい我慢しなくちゃ。←バチあたり

んなわけで、日曜まで留守にしますね。

山南さんと土方さん-4

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芹沢暗殺以降、刀を振るう山南さんは見られなくなる。
大阪町奉行与力の暗殺(26話)、池田屋事件(28話)、蛤御門の変(29話)、いずれも前線に姿がない。1話冒頭の御用改めシーンは池田屋の一月前にあたるが、これも本陣とした居酒屋で待機し斬りこんでいない。
明らかに戦闘から外されている。理由は、"斬れない"ためだろう。
芹沢暗殺(25話)で左之助に助けられ、土方さん自身も岩木升屋事件(33話:斉藤の回想。芹沢暗殺の2ヶ月程前にあたる)において彼の窮地を救っているから、間違いないと思われる。
それでも土方さんは、彼のプライドを傷つけない配慮はしているようだ。
「山南君には、奴らが古高を奪い返しに来ることを考えて、ここに残って貰いたい」
「承知しました」(28話)
主導権は土方さんに移っているけれど、二人の力関係にまださほど大きな開きは見られない。

きっかけは、やはり池田屋事件だろう。

ファンであるという幸福

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やばい。もう、感無量です。
放映までまだ半月あるのにどうしたらいいのか...;
続編のムック本は近所の本屋で無事GETでき、土曜スタジオパークではまたも初見のネタバレ映像を見てしまい......胸がつまって言葉になりません。

ほんとうに、なんて言ったらいいんだろう。
「組!」に関わる人たちは、みな熱い。スタッフ・キャストの方々はもちろん、ムック本をつくってくれた人たちも、福島で特番を企画したウルフアナも。脚本家と(続編の)主演俳優がサービス精神旺盛であることも大きいが、彼らを含め関係者がみんな1ファンでもあって、互いの熱が更なる熱を引き出し合っているように見える。それが「組!」という作品に見事にリンクしているんだよなぁ。
ここで何のかんのと呟いてる私自身も、端から見たら暑苦しいんだろうけど(笑)。そりゃぁ熱くならずにいられましょうか。

いろんな意味での"局長の不在"は寂しいが、皆の心にある存在が端々に見えて。中でも主役である副長の心を大きく占めているから、それも結果的に続編という作品にリンクしていて、どこまでも局長をフォローし続ける山本土方の姿勢が(本人はそうと意識していなくとも)いろんな形で結集している。
だけど表には出られない局長も、陰では副長をフォローしていたようだし、どんな映像で登場してくれるのか、楽しみに待ちたい。
ムック本はどこをとっても充実の内容で、この作品のファンであることが嬉しくてならない。かねてより実現を切望していた、副長・島田・尾関の対談を見つけたときは狂喜乱舞してしまった(^^; 本当にファンの心をわかってくれてありがとう!! 照英島田といい熊面尾関といい、想いの深さに泣かされる...(涙)

それにしてもなぁ...。
切ないんだけど、ものすごく幸せだ。

山南さんと土方さん-3

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このところの記事でお分かりの通り、「組!」モードにどっぷり浸かっている。
ルパンファンの皆様、申し訳ない。あと一月ほどはこの状態から抜け出せそうにないと思う。私はルパンたちがとても好きなので、だからこそ、ルパンモードに切り替えできないうちは彼らを描きたくない。
先月ようやくサイトの更新を再開したばかりだが、復帰にはもうしばらく猶予をください。

で、昨日。吹越満さんがゲストのトーク番組、もちろん見てしまった。ネタバレ映像...見たくないと言いつつ何度リピートしちゃったことか。あぁもう...嬉しいけど困るんだよなぁ;;
吹越大鳥も片岡榎本も実に期待できそうv しかし続編、考えの異なる彼ら三人が理解し合おうと努力するさまが描かれるらしい。
理解し合おうと努力する土方さんには、理解し合えず失った仲間たちがいた。
大鳥"圭介"と、山南"敬助"――奇しくも同じ名を持つ相手に対するという符号が、切ない。

山南さんと土方さん-2

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先の日曜は「義経」の最終回だったらしい。
あれから1年経ったんだなぁ......。
あの後スペシャルや座談会の放送があって、今年になってからDVDが次々に発売されて、5月の終わりに続編の制作が決まったんだっけ。再来年の正月を迎えるときは、続編からもう1年か...って言いそうだ(笑)
あれから1年――この言葉、8月にもよく見かけた。山南切腹の回(33話「友の死」)が8月放映だった。

山南さんは、あの笑顔で人当たりがソフトだから思慮深くて温厚なイメージがある。
土方さんは、自分を繕わないから周囲を気にせずマイペースな言動をしがちな印象を受ける。
そんな二人を互いのフィルターを通してみると、また違う面が見えてくる。

出会ったときから、二人の間は険悪だ。
もっともトシが一方的に突っかかっていて、山南さんの方は眼中にないというか歯牙にも掛けていないというか...。初見では"温厚なのにトシが嫌いそうな感じ悪さ"を堺さんがうまく表現しているなぁと思ったが、見返すほど多くのことに気づく。

山南さんと土方さん-1

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週に一度、母と「組!」DVD鑑賞会をしている。すでに2巡目に入っているが二人とも飽きないのだ。昨日は31~35話を見た。9日に山南役・堺さんのトークを聞いていたので、タイムリーに山南切腹の回(33話)を見返すことになった。
10日の記事に書いた"切腹に使った短刀の怨念"、ドラマを見る限り山南さん本人に怨念が残るようには思えない。むしろ、彼に関わった人たちの想いの方がずっと強いだろう。そんな皆の気持ちを象徴するものであるように感じた。
山南さんの脱走~切腹について考えることは多い。表現できる言葉がうまく見つからないのだが。

放映時、土方さんが本心(実は頼りにしていること)を彼に直接伝えていればこんなことにならなかったのでは...という感想を多く耳に(目に)した。しかし、私はそれだけでは変わらなかったと思う。彼の望む"居場所"は、土方さんが用意した場所(「あんたの進むべき道は俺が知ってる」)では無かった。それは、彼が勇さんに「あなたの進む道はあなた自身が決めるべきだ」と告げたことからわかる。
土方さんは言葉が足りないとも言われるが、けっこう要所要所で意思表明をしている。皆が京に残ると決めたとき(14話)は「これから何があろうと我ら試衛館一同、心はひとつだ」、殿内殺害犯を隠匿したとき(17話)も「憎まれ役は俺が引き受ける。これからはすべて」と皆の前で宣言したし、八・一八政変の後(23話)も「新選組を大きくする。そのためなら俺は喜んで修羅の道に踏み込んでやる」と山南さんに告げている(そこに斉藤も居るのが象徴的)。だからそのつもりで覚悟してくれと言っているように聞こえる。
むしろ土方さんの方が、山南さんが何を考えているかわからなかったと思う。彼の心に迷いがあったのだから端から見て理解できないのは当然ともいえる。

山南さんの神棚

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昨日、NHKのトーク番組に堺雅人さんが出演された。
明日放映のシルクロードに、来年の金曜時代劇にと益々ご活躍の様子が嬉しい。金曜時代劇では小鼓奏者の役で、カラオケボックスで練習中とのエピソードも披露してくれた。
私も小鼓を打たせてもらったことがあるが、難しい。
簡単に鼓の構造を説明すると、2面の皮で中央の胴部分(中身は空洞)を挟み、皮の周囲に通された紐で全体をくくりつけている。小鼓の場合、この紐の部分を左手で持って右肩に担ぎ、右手の指先で皮部分を打つ。そのとき左手は、掴んだ紐部分を強く握ったり緩めたりして、音をコントロールする。この左手が難しいのだ!
映像では音が吹き替えになるかもしれないけど、堺さん、頑張って~(^^)

堺さんといえば、山南さん。番組のオープニングでも山南さんの映像オンパレード。1年以上も前に撮り終えた役を引きずることを、ご本人はどう思っているのかな...と見ていたら、自ら記念の品を持ってきてくれた。それは、切腹したときに使った小道具の短刀。
収録後に貰ったはいいけど扱いに困ったという堺さん、笑えるやら泣けるやら...。
結局、神棚を買って祀ってあるのだそうだ。自分が演った役の怨念が怖いなんて変かな、と笑っていたけれど。ドラマと役にどれほど真摯に向き合ったかが感じられて、ほろりとしてしまう。
そのとき、神様ってこういうためにいるんだ、といった話をされたのが印象に残った。
人知を超えるものを委ねる対象として、超越した存在が必要になることがある。古来、日本人にとっての神様ってそういうものなんだろう。

モノはモノでしかない。山南さんの短刀もただの芝居の小道具にすぎない。
祀っているのは気持ちからであって、堺さんも他人に賛同を求めはしないだろう。しかし「組!」ファンならその想いを共有できる。私は西洋的見地から言えば無神論だが、八百万の神は拝むし、山南さんの神棚にも手を合わせるだろう。理解されなくていいけど、想いは尊重してもらえたら嬉しい。
世の中の宗教に対するスタンスが皆そんなだったらいいな...なんて思ったりする。

未熟者の修行(笑)

| (ルパン三世) , (新選組!) | コメント(4)

昨日は仕事の後にセミナーを受講して帰宅したので、その仰天ニュースを知ったときは23時を回っていた。冗談かと思ったが、19時・22時のニュースでも流れたらしい。どうしてこんな時に限って!(悔)
昼におにぎりを食べたきりという空腹も忘れてネットを巡った。さすがに紅白の司会となると注目度がすごい。報道もこれまでにない多さだった。
参ったなぁ。この年末年始はまったく気ぜわしいよ、落ち着かないよ(笑)
しかしなんとも感慨深い。報道記事にはこぞって「組!」とその続編の文字が躍っている。放映当時あれほどバッシングを受けた番組が、史上初の続編制作に留まらず紅白進出! 視聴率狙いの起用であれ...あれ?放映時は視聴率の低さをも叩かれてたのに何か変だな? まぁともかく大抜擢には違いない。局最大の看板番組が「組!」と続編の宣伝になっている...それこそ直参お取り立てになった気分。幕府のように潰れてしまっては困るけど(^^;
紅白の舞台で局長副長が揃い踏みになるのもファンには嬉しい。副長の司会っぷりを局長がそわそわはらはら見守る姿が浮かぶのは気のせいか?(笑) まさか2005年がこんな幕切れになるとは...想像もしなかった...。

という記事を昨夜の内に書こうとして、書けなかった。興奮のまま"喋る"ことはできるのに"書く"ことは何故か出来ない。だからチャットも(好きだけど)苦手で、気づけば相づちばかりが続いてしまう。ブログもそうで、無理して綴ってみても、騒いでいるだけで肝心なことはまるで書けていない。
私の中で書くという行為に必要などこかが、気持ちが昂揚すると働かなくなるのだろう。
だから書くためには冷却期間が要る。すると今度は時機を逸したり、情熱も薄れる。何が書きたかったのかさえ忘れてしまったりする。

そんなだから、日記をつけるのも子供の頃から苦手だ。

たかが創作、されど...

| (ルパン三世) , (新選組!) | コメント(0)

このところ取り憑かれたように土方さんや新選組の考察を綴ってきたことが、恥ずかしくなった。
今日、「組!」&続編での土方役・山本耕史さんと時代考証担当・山村先生の対談が載った歴史雑誌と、脚本担当・三谷さんのエッセイ本が発売された。
常々感じていることだが、このドラマの凄いところのひとつは、役者さんたちの嵌り具合だ。例を挙げればきりがないほど、彼らの言動が(直接作品世界や人物を語っていなくても)その核心に迫ることが度々あって、多くのことに気づかされる。
彼ら自身がドラマを越えたドラマになって、感動などという表現では足りないほどの衝撃を与えてくれる。
彼らは紛れもなくその役を生きたのだ...と思う。

三谷さんは「組!」を書き上げた後、ミヤコ蝶々さんをモチーフにした芝居を手がけられた。エッセイのその件で「あえてご本人には似せていない」と三谷さんは書く。決して本人を再現することは出来ないし、近づけたとしても"そっくりショー"になるだけだと。そうして"一女芸人"として掘り下げた劇中のキャラクターは、結果として、ご本人をよく知る方々から「よく似ている」と言われたそうだ。
これを読んで、震えがきた。
創作とは、そういうものなのだ。
そうやって描かれたドラマを真摯に生きた役者たちの言動が、ときに歴史家の解説より的を射て感じられるのは当然なのかもしれない。

"史実"を軽視するつもりはない。けれど、それは歴史の断片でしかなく、しかも記録者(の私見や立場・状況)を経て残されたものだ。それらを研究する学問(もちろん大事なことだが)と、事実の本質が結果としてズレることだってあるだろう。
素人ながら考察する楽しみもまさしくそこにあるわけだ。が、役者たちの"実感"には敵わないと感じることが多い。これらを先に読んでしまっていたら、今までの記事は書けなくなってしまったかも。よかったのか悪かったのか...(苦笑)
とはいえ今後も懲りもせず書き続けていくけれど。自分の頭と心で考えることも大事だから。

あともうひとつ反省させられるのは、三谷さんを含めて皆がとても謙虚であるということ。
謙虚は謙遜とは違う。ただへりくだってみせるのではなく、ひどく冷静に客観視できる目をもっている。どれほどドラマに入り込んでも己の世界に酔うことなく、常に実在の人たちに敬意を払い、ドラマはドラマとしっかり認識している。だからこそ的確な思考が出来るのかもしれない。
......見習わなくては...!

会津の旅-土方さんの変化

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この記事は、考察というよりも感想であることをご了承いただきたい。 ※12/4若干加筆修正

土方さんは変わった――と、よく言われる。
上洛前の多摩・江戸にいた頃、京都での新選組時代、北征~箱館の時期。「いつの土方さんが好き?」なんて質問があったりもする。
私は、答えられない。それぞれに魅力があるともいえるが、そうやって切り離しては考えられない。ましてや箱館時代と答えるのは、なんだか土方さんに申し訳ない気がしてしまう。
京都では厳しさを装っていて本当の土方さんは...とか、本来の姿は...とも、よく聞く。しかし私にはどれも彼自身の姿に見える。無理もしただろうが夢や目的のために望んだことであり、気の毒とか可哀想とかいう方向で捉えては失礼に思うのだ。(そういった状況や心理を考えること自体には賛同するけれど。)
最も"素"のままが現れていたということなら、まだ何も背負っていない多摩・江戸にいた頃だろう。しかしこの頃の記録は非常に少なく、通説とされている多くは"可能性や想像"の域であるらしい。郷里に伝わるエピソードからは、やんちゃで負けず嫌いで物怖じせず、観察力・記憶力・人を使う能力に秀でた性質や、甥・姪やお年寄りに深い情を見せていたことなどが窺い知れる。

よく比較されるのが、味方にすら容赦ない鬼と恐れられた京都の頃と、温厚で皆が母のように慕ったと書き残された北征の時期だ。が、彼自身の変化を考える前に、その土台となる状況や立場が全く異なることに目を向けるべきと思う。
京都での彼は、これから大きく強くして名を挙げていこうとする組織の副長である。
対して北征の頃は、先に希望がない負け戦の兵を率いていく将なのだ。
言動に変化が生じるのは自然である。ただその変化を"無理をする必要がなくなって本来の彼に戻った"とだけで結論づけるのは疑問を感じてしまう。
京都における彼が組をまとめるために自らの"演出(状況と立場に求められる振る舞い)"をしていたならば、北征中とてその意識はあったと考えても不思議はあるまい。
そう感じるのは、やはり転機が会津にあると思うからだ。